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二風谷ダム問題を考える

連載 「自由」で「不自由」な社会を読み解く 第九回

『しゃりばり』200412月号 No.274. pp.56-57.

橋本努

 

 

1.二風谷訪問

 先日、友人とともにアイヌの里「二風谷(にぶたに)」を訪れる機会があって、萱野志朗さんというアイヌの方にお話を伺うことができた。萱野志朗さんは現在、二風谷を拠点に、生のアイヌ文化情報を発信している精力的な活動家である。例えば「アイヌタイムズ」というアイヌ語の新聞を編集・発行したり、「FMピパウシ」や「サッポロラジオ村」を通じて、二風谷発のFM番組を制作・放送している。ラジオ番組のほうはインターネットのサイトにも載っているので、私たちはいつでもその内容をオン・ディマンド形式で聴くことができる。私もさっそくインターネットでラジオを聴いてみたが、番組は温かい会話と豊富な地域レポートに満ちていた。二風谷に暮らすアイヌの人々の生活とその情景が、目に浮かんでくるようであった。(http://www.aa.alpha-net.jp/skayano/menu.html)

二風谷といえば、アイヌの聖地である。しかしこの土地が人々に知られるようになったのは、皮肉なことにも、「二風谷ダム裁判」と呼ばれる8年間にわたる訴訟を通じてであった。今回はこの事件に焦点を当てて、アイヌ民族の自由という問題について考えてみたい。

 萱野志朗さんの父、萱野茂さんは、アイヌ人初の(元)参議院議員として知られるだけでなく、二風谷ダム裁判の原告としても、歴史に残る歩みを残した人物である。「二風谷ダム裁判」とは、アイヌの聖地二風谷をダム湖にして沈めることの正当性をめぐって争われた裁判であるが、その判決は97年に、原告側の実質的な勝訴、すなわち、アイヌ民族の先住性を国家がはじめて国内で認めるという画期的な内容をもって終わっている。裁判における原告のアイヌ人は萱野茂さんと貝澤正さんの二人だけであったから、二人の闘いは並々ならぬものであっただろう。

もっとも、裁判は原告側の実質的勝訴とはいえ、形式的には「敗訴(ダムは撤去しない)」であった。二風谷の土地はアイヌの聖地として認められたものの、二風谷ダムは現在も稼動中である。

 

2.ダム建設と私的所有権

ではそもそも、アイヌの聖地になぜダムが作られたのだろうか。二風谷ダム建設の背景には、政府の杜撰な苫東開発計画があったことが指摘されている。苫東開発とは、北海道の苫小牧東部地区に、アジア最大規模の工業基地を作るという構想であり、第2次全国総合開発計画の一部として、政府によって1969年に決定されたものであった。そして二風谷ダムは、この苫東開発のための「工業用水調達」の目的で計画されていた。

ところが苫東開発そのものが、結局、頓挫してしまうことになる。バブル経済の絶頂期(1989年)までに、苫東開発の目的で売却された用地は全体の10%に満たないという悲惨な状態が露呈する。86年に着工された二風谷ダムは、本来であればこの時点でその計画を見直すべきであったのだが、しかし、当時の開発局がとった行動は、ダム建設の目的を「工業用水調達」から「多目的(洪水対策・灌漑用水・発電など)」に変更して、新たな観点から二風谷ダムの建設を正当化する、というものであった。これはどうみても正当な手続きとは言えまい。ここには、日本の政・官・業の癒着によって公共事業の暴走を制御できなくなるという、「政府肥大化」の悪しき実態が見て取れよう。

不要な公共事業の拡大というのは、他にも例えば、長良川河口堰や諫早湾の干拓工事にもみられる。だから二風谷ダムの事例だけが例外というわけではない。ダム建設の根本的な問題は、「いかにして事業を見直すことができるのか」という点にあるが、しかし現在の土地収容法においては、国がダムを建設すると決めた場合、これに個人が反対するのは容易なことではない。例えば、ダム予定地の土地を所有している人が、国家に対して「私有財産権の不当な侵害」を主張しても、法的にはほとんど抵抗の余地がなく、強制的に土地を没収されてしまう。リバタリアン(自由尊重主義者)の観点からすれば、そもそも個人の私有財産を容易に没収する開発国家こそ「根本悪」であるということになろう。そして国家が個人の私有財産を侵害しない自由社会こそ、不当なダム建設の強行を防ぐことができると主張されるだろう。

 

3.アイヌの文化資源

 しかし、私的所有権の絶対性を主張しない人々は、二風谷ダムの建設をいかにして阻止する理念をもちうるのだろうか。私がこれまで論じてきた成長論的自由主義の立場も、私的所有権の絶対性を主張していないので、この問題は大いに検討する価値がある。

コミュニタリアンの立場からすれば、例えば二風谷地区のコミュニティに強い自治権を与えるとか、二風谷をその一部に含む平取町の自治権を強化するという方法が考えられよう。しかし二風谷では、多くのアイヌ人たちが生活向上のためにダム建設を支持したのであり、このことを考えると、コミュニティによる解決にも限界がある。

これに対して市民主義の立場から、草の根的な市民運動によって官僚や政治家に圧力をかけるという手段がある。その場合、官僚や政治家の判断力を的確なものにするためには、いつでも事業計画の誤りを容易に認めうるように、意思決定者の責任配分を見直す必要があるだろう。また役人のエートス(倫理的態度)として、アイヌ人の先住民族性に対する理解(多文化主義)や、その歴史を保守し回復するための実践的思考(保守主義)が求められるだろう。

私もこの市民主義の考え方に共感を寄せているが、しかしそれでもこの立場に危険性がないわけではない。多文化主義を支持する立場は、おそらく、たんに二風谷ダムの建設を阻止するのではなく、その代わりに別の公共事業として、アイヌ文化の理解と発展に寄与するような、文化観光施設の建設を提案するかもしれない。しかし1980年代にはじまる第三セクター方式の観光施設開発事業がほとんど失敗に終わっていることを考えると、もし二風谷に同様の文化観光施設を作って失敗したとしたら、町の財政と人々の生活はかなり困窮していたに違いない。ダム建設によるアイヌ人の生活向上を優先すべきか、それとも文化観光施設の建設による生活の窮乏化リスクの引き受けるべきか、と問われれば、にわかには答えがたい。

 二風谷の現状を考えると、いまはもっと基本的な文化資本に資金を投入する必要があるように思われる。現在、アイヌ人のほとんどがアイヌ語を用いていないが、アイヌの文化資源を回復するためには、例えば、二風谷小学校の生徒(現在30名)にアイヌ語を教えるという特区の形成や、二風谷地区の道路標識にはアイヌ語を併記するといった事業が求められるのではないだろうか。